人間関係の心理のあれこれ

人間関係が怖いを楽にする方法についてつらつら綴っていきます。

満足の境界線をたくさん引いてみよう

人生に大きな目標を掲げることは大切なことではあると思うが、一挙にその目標に到達することはとても無理なので、そこまでに至る道程で、いくつかの小さな目標を設定すべきだと思う。


人生を旅だとするなら、その小さな目標は、それぞれ旅の宿場町なのである。


広重の「東海道五十三次」を見ると、江戸から京都まで、多くの宿場町に逗留して、それぞれ優れた作品を残している。


金谷の宿では大井川が描かれているし、掛川の宿では、天空高く跳ぶ円形の凧が描かれている。


浜松では松を背景にして、農夫が田んぼで火を燃やしており、その向こうには遠州灘が望まれる。


舞阪の宿では美しい海岸と大小の舟が主題である。


広重は、目的地に着くまで、たくさんの宿場町に泊まり、熱心に絵を描き、多くの人々に出会い、また別れて、人情の機微に接し、旅をエンジョイしながら、次の宿場を目指したことだろう。


広重の旅はわれわれの人生とよく似ている。


私は故郷で両親に育てられ、物心つくと東京に出て学生生活を送り、大学を卒業すると鎌倉の救急病院に勤め、そこで妻と知り合い、川崎の病院に移って子どもをつくり、そして浜松にやってきて・・・と考えると、ずいぶん多くの宿場町に泊まり、多くの人に出会い、そして別れ、また新しい人たちに出会い、また別れ、を繰り返してきたと思う。


ただ私たちの旅が、広重の旅と異なることは、私たちが泊まる宿場町が、広重のように次は掛川、次は浜松、何日経ったら京都に着く、という風に、予定がなかなか立たないことである。


掛川の次に浜松に行くとは限らない。


事情によっては、東海道のほうは中止して、東北のほうに向かうかもしれない。


また、もう歩くのは嫌になって、浜松で職を見つけて生涯を過ごすようになるかもしれないのである。


そして何よりもたいへんなことは、われわれが設定した大きな人生目標には、少しずつ近づくことはできても生涯到達することは無理な場合が多いということである。


人間は誰しも幸せになりたいと思っている。


しかし人間は貪欲だから、これで満足だという域にはなかなか達しない。


人生目標と同じで、近づけば近づくほど遠ざかっていくのである。


しかし、人生目標に到達するように努力したり、幸福になろうと努力することで、それなりの実は結ばれる。


いまわの際に「私の人生は幸せだった」と言い残す人も多いが、それはこういったことを意味するのであろう。