人間関係の心理のあれこれ

人間関係が怖いを楽にする方法についてつらつら綴っていきます。

あなたが他人を羨ましいのと同じくらい、誰かもあなたを「羨ましい」

「不幸を受け入れない完全主義」は、苦しみを倍加する。


完全主義は悪魔のささやき。


だから同じ状態でもひどく苦しむ人と、それほど苦しまない人といるのである。


今の健康も、今の人間関係も当たり前と思わない。


お金がないときにはわずかでよいから、貧しい人に寄付をする。


そうすると今の経済状態に感謝をするようになるという話をどこかで読んだ。


少し頭痛がする、誰でも多少は不快である。


しかしそういうときに「不幸を受け入れない」人は、不釣り合いなほど頭痛に苦しむ。


頭痛は誰にとっても頭痛である。


しかし頭痛のときにどれだけ苦しむかは、人によって違う。


「自分は完璧に健康であるべきだ」と思っている完全主義の人は、頭痛にひどく苦しむ。


「早く治らないかな」と焦る。


そしてしばらくすれば「なんで治らないんだ」と頭痛にイライラする。


さらに時が経てば、何か自分だけが不公平に扱われているような気持ちになり、怒りが湧いてくる。


頭痛の中で心の平静を維持している人もいれば、体全体で苦しんでいる人もいる。


そしておそらく早く治るのは心の平静を維持している人のほうで、頭痛薬を飲んで七転八倒している人ではない。


頭痛薬で治すことができるのは、頭痛の原因ではなく、頭痛という症状だからである。


少しだけの頭痛で七転八倒して大騒ぎをするのは、その人がもともと生きるのがつらい人なのである。


その生きるつらさが、頭痛ということを通して表現されてきているのである。


それは単なる頭痛の体験ではない。


単なる頭痛に不釣り合いなほど大騒ぎをして苦しむのは、その中にその人のすべての人生が表現されているのである。


その人の無意識が、頭痛の苦しさというかたちをとって表現されてきている。


だから、その苦しむ姿は他人から見て不釣り合いであるが、その大騒ぎをしている本人にとっては不釣り合いではない。


ささいな日常の嫌な体験で、不釣り合いなほど苦しむ人は、小さい頃から「楽しい」という体験をしていない。


だから生きるのが楽しくない。