人間関係の心理のあれこれ

人間関係が怖いを楽にする方法についてつらつら綴っていきます。

だれもが仕事そのものに魅力を感じるわけではない

このような内発的動機づけが重要だという心理学の知見が世間に広まり、ビジネスの世界でも内発的動機づけが注目されるようになってきました。


最近では、ビジネス誌でも内発的動機づけに関する記事を目にするようになりました。


何らかの報酬を得るために勉強や仕事を頑張るのが外発的動機づけであり、勉強することや仕事すること自体に魅力を感じて頑張るのが内発的動機づけだとすると、たとえば入試のために頑張って勉強するとか、キャリアアップに必要な資格取得のために頑張って勉強するとか、一人前として認められたくて必死に仕事を頑張るというようなケースは、内発的動機づけによって動いているとは言えません。


勉強そのものが楽しいというよりも、入試や資格取得のための手段として勉強を頑張るのであり、仕事そのものが楽しいというよりも、認められるための手段として仕事を頑張るのだから、外発的動機づけによって動いていると言えるかもしれません。


でも、良い成績を取ったらご褒美をあげると親から言われて仕方なく勉強しているケースや、給与査定が悪くならないように手を抜かずに働いているケースと比べると、かなりモチベーションが高く、しかもモチベーションが持続するように思われます。


そこで着目したいのは、「やらされ感」が強いか、自発的に取り組んでいる感じが強いかという点です。


勉強や仕事そのものを楽しむということでなく、何か別の目的のために勉強したり仕事したりしているのであっても、人から報酬や罰をちらつかされて仕方なく取り組んでいるのと、自ら選んだ目標のために取り組んでいるのとでは、モチベーションの在り方がまったく異なるはずです。


「やらされ感」というのは、デシによる自己決定の感覚と裏腹の関係にあります。


デシは、内発的動機づけの重要な要素として、自己決定の感覚を最も重視しています。


自律性の感覚といってもよいでしょう。


やらされているのではなく、自ら選んで主体的に取り組んでいるといった感覚のことです。


たとえば、将来のキャリアに役立ちそうな資格取得のための勉強をするとか、販売現場に出たときに困らないように商品知識を必死に頭に詰め込むとか、一刻も早く一人前と認められたいから寝る間も惜しんでスキルアップに励むとかいうのも、実際よくあることです。


そのような場合、自己目的的ではなく手段として学ぶわけで、内発的動機づけによる行動とは言えません。


しかし、無理やりやらされているというのではなく、自己決定に基づいて行動しているという意味では、外発的動機づけによる行動とも言い難いところがあります。


しかも、手段としての学びだからといって、モチベーションが低いわけではありません。


むしろ、目標達成の役に立つということで、モチベーションが高まったりもします。


近頃しきりに実学がもてはやされます。


実学を学ぶのは、何かに役立てるためであり、学ぶこと自体が喜びということではありません。


仕事の役に立つなら学ぶ気になれるけど、何の役に立つのかわからない勉強はやる気がしないという実学志向の学生やビジネスパーソンも少なくありません。


このような学び方は、内発的動機づけによるものとは言えないものの、高いモチベーションにつながりやすいものです。


このように考えると、自己目的的でなく、他の目的のために、つまり外発的動機づけによって学んだり働いたりするのも、けっして悪いことではないでしょう。


内発的動機づけがもてはやされていますが、現実には外発的動機づけによって仕事に取り組んでいるうちに仕事が楽しくなったというのもよくあることです。


では、他の目的のための手段として仕事をすることで、仕事が嫌いになる場合と仕事が楽しくなる場合では、何が違うのでしょうか。


ポイントは、他の目的のためといっても、嫌々やらされているのか、それとも自分が強く望んでやっているのかということです。


そのあたりを整理してモチベーション・マネジメントを考える際に役立つのが自己決定理論です。