人間関係の心理のあれこれ

人間関係が怖いを楽にする方法についてつらつら綴っていきます。

父親の怒り

ビリーの失くし物が父親を怒らせた。
「お前、金のなる木があるとでも思っているのか。それとも、そんなこと考えたこともないのか。ビリー、いったい、これはどういうことなのか説明してみろ」


ビリーは怯えて鳴き声で言う。
「ボクわからない。つい忘れてしまうんだもの」
「つい忘れる、だって?パパが買ってやった高いもの、片っ端からなくしてしまったじゃないか」


父親にやっつけられて、ビリーは頭を垂れ、何も言わない。「・・・」


「質問に答えろ!パパを怒らしてそんなにおもしろいのか、言ってみなさい!」「わからない」


父親が高圧的に出れば出るほど、ビリーは頑固におし黙る。


母親との場合でも、父親との場合でも、ビリーは追いつめられると「わからない」を繰り返すほかなくなる。


両親はなんとか彼に立ち向かおうとするが、しまいには、どうやってもパアになってしまう。

ピーター・パン・シンドロームのルーツと、その四つの基本症状

ピーターパンシンドロームのルーツをさぐると、子ども時代、それもかなり幼い頃にまでさかのぼる。
ただし、その症状が現れるのは、いわゆる思春期まで、12歳前後である。


12歳から18歳までの、まだ永遠の若さの夢を諦めきれない少年に、「無責任」「不安」「孤独」「性役割の葛藤」の四つの症状が現れる。


いずれも現代社会が家族、最終的には子どもに及ぼすストレスの所産である。


18歳から22歳までの間に、さらに新しく「ナルシシズム」と「男尊女卑志向」の二つの症状が現れるが、これらは四つの基本症状がその母体になっている。
この新たな二つの症状によってピーターパンシンドロームは決定的なものになり、次にクライシス・ピリオドを迎える。


この危機の間に青年は現実に直面し、それまで長い間信じてきたマジカルシンキングを止め、自分の中核になるような自我を発達させねばならない。
それができない者は、おそらくずっと、いや一生、ピーターパン人間として暮すことになる。

真の射

人間の心の在り方を考えると、一所に心を留めないで事を成し遂げるのは、非常にむずかしいものです。


とくに、ギリギリの状態で、集中して物事を成就しようとするときにはなおさらでしょう。
たとえば、ゴルフ・コンペの場合を考えてみてください。
この一打ですべてが決まるという状況です。
ここで平常心を保てれば、勝利を呼び込めるはずですが、ついパターの一所に心を留めてしまい、悪い結果に終わる場合がよくあります。
弓で的を射るときも、似たようなことをいわれます。
的を射るにもかかわらず、的に注意を集中してはいけない、と指導を受けます。
的の一所に心を留めると、射抜くことができない。
逆に的に意識を集中しないで、平常心が保てると、見事に的に当たる、というものです。
これを、真の射と言います。
禅問答のようなややこしさもありますが、事情は次のようになります。
つまり、注意を一点に留めてしまうと、セロトニン神経の活動が一時停止に陥り、平常心が保てなくなってしまうというものです。


平常心は、セロトニン神経をきたえるだけで作られるものではなく、平素の心のもち方も大切ということになります。
一所に心を留めると、せっかく高められてきたセロトニン神経の活動レベルを一時的に停止させてしまい、満足なパフォーマンスができなくなる可能性があるのです。